GrannyLapis’s diary

今まで経験してきたこと、今日からのこと、いろいろ思うままに記していきます。

高齢者だからスマートウオッチ‼

最近、最新版のアップルウォッチを購入して入浴時以外ずっとつけています。この時計をつけていれば電話やメールもミスすることがないのでとても便利です。

早朝散歩を日課にしているのですが、玄関でるとき「ワークアウト」をスタートさせて歩くスピードに距離や歩数、歩幅、歩き方などをチェックします。その他、心拍数、心電図、睡眠時間、歩行安定性などもみることができるので大いに今後の健康管理に役立てていこうと思っています。

先日、家の階段を登ろうとしたときに足を踏み外してしまったら、「今転倒したようですが、大丈夫ですか?」と時計がブルルと震えて、尋ねられたのには驚きました。いざというときには110番や119番などの緊急SOSを発信することも可能です。

老眼鏡かけてないと文字盤が読めない、指先での操作がやりにくいなど少し難点はありますが、高齢者対応の簡単スマートウオッチがもっと普及してもいいかもしれません。

 

腱板断裂克服記⑥ 最終稿 術後1年半~2年

2021.12月 ようやく術後1年半の診察まで辿り着きました。          右腕は問題なく真っすぐに挙がるようになりました。痛みもありません。日常生活ではほとんど手術したことを忘れていられるようになりました。ふとした瞬間にも右手がスムーズにでるようになっていました。ただ荷物を右腕で持って歩き続けて、その荷物を降ろすときに、ほんの一瞬カクッとシフトレバーを入れ換えるときのような違和感だけが残っていました。                   この日、先生の許可がでて術後1年半継続したリハビリが終了となりました。

2022.3月 1年9か月の診察でした。この時までには荷物を降ろすときの違和感もまったくなくなり、かなりの重量にも耐えられるようになっていました。

2022.6月 術後2年の最終診察。直前には筋力テストとMRI撮影。筋力はほとんど左右差のない結果でした。MRIは素人目には前回と大差ないようですが、確実に私の骨の一部になってきていて、先生曰く、この状態になれば万一外科的手術でこの部分に金属を挿入しなくてはならなくなっても全く問題ないのだそうです。日常は以前通りの生活になりました。

劣等生だった初期のリハビリから2年。最後はどんな腕の動きも筋力テストも良い成績を修められました。コロナ禍で不安もありましたが、総合病院ではなく整形外科専門病院だったことが幸いして手術の延期もなく、リハビリもスケジュール通りに無事にこなせました。術後の生活や長期のリハビリの大変さや様々の置かれている立場から手術をしない選択もあるようですが、私は良い病院に恵まれ、通院の負担も軽かったので挫折もせず術後2年で腱板断裂から卒業となりました。幸運でした。

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*1:術後2年最後のMRI

腱板断裂克服記⑤ 術後一年~一年5か月

写真は術後半年と1年のMRI画像です。

手術で2本挿入されたアンカーのギザギザとしたネジのようになった部分が消えてきて私の骨の一部になってきていることが分かります。術後10か月、11か月と過ぎてくるにつれて私の腕、私の肩になってきているのを感じていました。正直言うと、まだ朝ベッドから起き上がったときには肩に硬さを感じていたのですが、日中は棚の上の方の物を取らなくてはならない時につっぱり感を感じる以外ほとんど「肩」を意識しないで過ごせるようになってきていました。

コロナ禍の通院は緊張感も伴っていましたけれど、車に乗って難なくシートベルトに手を掛けて肩に回しかけられたとき本当に手術してよかったと思いました。

この時点ではまだMRIに写っているアンカーもカルシウムが含まれていてどんどん私の骨と一体化していくのだそうです。

ここまでは良い状態で術後のリハビリは進んでいました。ところが、術後1年2か月過ぎて夏休みが来てハプニングが起きました。

孫を連れて旅行にいくことになったのです。そこで油断をしました。冬はスキー場、夏はリュージュという小高い山に行きました。子どもは一人では乗れないというので一緒に乗ることになりました。リュージュという乗り物のことは全く知りませんでした。レバーを押すとアクセル。手前に引くとブレーキ。そう教えてもらっただけでリュージュは急斜面を滑り始めました。孫にはレバーを持たないように言ったのですが、滑り始めた途端にスピード狂に変身。レバーを押しながらどんどんスピード上げて滑り降ります。私は渾身の力を込めてレバーを手前に引きながらカーブを曲がります。その連続で下まで滑走しました。滑り降りる速さが怖くて、どこかに飛んでいってしまうのではないかと怖くてたまりませんでした。

ゴールまで無事に辿りついた時に初めて肩の手術をしていたことを思い出しました。大丈夫だろうか… 案の定、徐々に肩は痛みを感じ始めました。

二日目、三日目、更に痛みが増してきました。「もしや再断裂かも…」そんな心配が頭をよぎりました。帰宅してもちょうどお盆休みで病院は休みになっていました。お盆明けを待ってリハビリの予約を入れてPTに診てもらいました。「そんなに簡単に再断裂するものじゃないから多分大丈夫よ。」そう言いながら、痛いときは運動を控えて冷やしてとやさしくマッサージしてくれました。週1回になっていたPTのマッサージを2回に増やして一月後の先生の診察日まで待つことにしました。ともかく先生の予約は簡単に入れられないのです。

翌月に入って待ちにまった診察日。先生に事の次第を話すと呆れられました。まだ完全に元通りの状態には戻っていないのにやり過ぎだったのです。診察室のエコーで直ぐに診てくださいました。そして、「大丈夫。手術のあとには異常なし。僕はそんなヤワな手術はせえへんよ!」関西弁で笑いながら、私があまりに痛がっていたものですから、生理的食塩水を入れた注射を一本肩にしてくださいました。

この時、先生が突然私の手首を持って腕を回転させて見せてくださいました。左腕は肩から自然に手首の動きと一緒に回るのですが、右肩は手首を持って腕を回しても一緒についてこないのです。これが術後1年ちょっとの状態。つまり完全治癒の状態ではないということを先生は教えてくださいました。肩から自然に回るようになって完全治癒だそうです。

まだ油断は禁物。真面目にリハビリを続けていかねばなりません。

先生の注射、たった1本のお蔭で肩の痛みは嘘のように引いていって、2週間後には痛みは消え、その後はまた元通りのリハビリに戻ることができました。

そして、術後1年4か月に入るとリハビリは2週間に1回になりました。

腕を180度挙げることは問題なく可能になっていました。荷物は1キロ程度のものならかなりの時間持ち歩けるようになりました。2キロとなるとちょっと長くは歩けません。家でのテーブルやチューブやストレッチポールなどを使った運動を真面目に継続していました。

腱板断裂克服記④ 術後半年~11か月

術後半年を過ぎてもリハビリ週2回を継続中。術後5か月末からチューブを使って腕を上げ下げしてアウターマッスルを鍛える動きも加わりました。ストレッチポールの上に全身を横たえて腕を挙げてみると、もう左右がほとんど同じ高さまで伸びるようになってきました。ただまだお風呂の浴槽を洗うのにスポンジを持った腕を回すと肩に痛みを感じます。まだ脇の下の奥の方の筋肉がほぐれてきていない感じが拭えません。

「術後7か月になったらリハビリは週1回にしましょう!」とPTから言われてしまいました。何だか心細い感じでしたが、可動域はでてきているので、後は日々の努力次第ということなのです。

2021.1月に入り術後7か月目からは週1回のリハビリになりました。自宅ではひたすら筋力アップを目指し、歩いてスーパーまで行って1キロ程度の荷物を持ち帰ったり、チューブ運動を繰り返しました。インナーマッスルを付ける運動も続けていました。ストレッチポールを使って脇の下の筋をほぐすこともやっていました。

やり過ぎは痛みがでるので、週2日程度は休養日を作るようにPTから指示されました。その方が筋力アップには効果的なのだそうです。先月の12月に1キロが持ち上がらなかったのが何とか上げ下げできるようになってきました。3月までには1.5キロを持続的に上げ下げできるようにすることを目標に頑張りました。

少しづつ、少しづつの前進でした。

4月に入って術後10か月を過ぎるともうほとんどのことが難なくできるようになっていましたが、まだ長い時間片付けなどしていると肩が凝って重だるい感じになりました。筋力が不足していることと、長い間右肩をかばって生活していたときの記憶が消えていないのが原因らしいのです。

また一つ運動が加わりました。

胸の前側の筋肉と腱板を鍛えるチュープ運動に加えて、背中側の肩甲骨を使って腕をあげる運動です。「ベッドにうつ伏せに横になり右腕を60度くらい斜め前で上げ下げする。その時、手を親指をだしてgood!の形に握る。これを15回2セット行う。」この運動を継続することで背中側の筋力が付いて、胸の内側の深い場所で感じる痛みや懲りが少なくなっていくということなのです。

この運動、チューブ運動、テーブルの上で腕を伸ばして挙げる運動、そしてストレッチポールで脇の下をほぐす運動、地味なこれらの運動を頑張り過ぎずにひたすらに続けながら日々を過ごしました。

 

腱板断裂克服記③ 術後4-6か月

術後4月目の診察で標準よりひと月遅れて運転が許可されました。お抱え運転手ともお別れして自分で運転してリハビリに通院するようにしました。だんだん動きは良くなってきていましたが、鏡の前で両腕を挙げてみるとまだ右腕は肘が伸び切りません。あと10度といったところでしょうか。脇の下の筋肉がまだ硬くて、揉むと痛くて伸びない感じです。

先週、少し油断して庭で堅い木の根っこをシャベルを使って掘り起こそうとしたら5日過ぎてもまだ痛みが残っています。ともかく無理は禁物!

散歩するときに腕を微妙に振りながら歩くようにしてインナーマッスルを鍛える努力をしています。

術後5か月近くになってくると腕の痛みが以前より上の方に移動して肩の骨頭周辺部が痛くなってきました。PTに伝えると、肩関節の骨同士がうまく絡んで動いていないからと新しい運動が加えられました。

その運動とは、まず肩を自然な形に落として力を入れずに両手とも前に伸ばす。テーブルなどを使って撫でるように伸ばす。以前、雑巾掛けのような動作の運動をしていたけれどそれとほぼここまでは同じ。それほど頑張らずに腕をいっぱいに伸ばしたところで止める。この時に肩の胸の側に「えくぼ」のような窪みができていないといけない。この窪みがあることが肩の正しい位置に関節が収まっていることの目安になる。そして、次にそのままの位置で掌だけを上方にほんの少し上げる。テーブルの表面との間に少しの間隔をあける。そして元の位置に戻す。この運動を一日に10回程度行う。痛みを感じたら直ぐにやめる。

これだけの運動。それなのに、まだ翌週痛みが出てきているとPTに訴え、今度はそれならと変更された運動が次のもの。

今度は掌を挙げないで掌をテーブルに押し付ける。肩を挙げず、肩が下がるくらいな気持ちで。力は50%程度にする。

どうも私は肩関節の使い方ができていないらしいのです。ほとんど一緒のときに手術した女性は腕を挙げるときの痛みはまったく感じないと言っているのに… しかし、以前は難なくできていたことなのだから絶対にできるようになる、痛みを感じなくなるとPTのことばを信じて継続しました。

11月に入って5か月目の主治医の診察時、可動域がでてきていても、まだ腕を挙げたときに肩関節周囲が痛いと訴えました。すると先生にその原因は姿勢と脇の下の筋肉の硬さにあると指摘されました。姿勢は胸を張るのではなく、肩甲骨を近づけるようにしていなければならないと教えてくださいました。

12月、術後6か月の診察と筋力テスト。可動域はどうやら戻ってきたのだけど、筋力がまだついていません。術後半年で2キロの重りを持って、腕を真横に挙げたときに10秒間キープできるのが標準らしいのに私は30度も持ち上がらない状態でした。先生には「あと半年かけて2キロの重りを自由に上げ下げできるようにしていこう、骨の状態は完璧なので80点くらいかな。大丈夫よ!」と慰められました。

いつの間にか、利き手の右手を使わずに左手で何でもしてしまう習慣がついてきてしまっていました。それを元にもどしていかなければ硬くなった筋肉は柔らかくなっていかないし筋力も付かずスムーズな動きができないまま。必ずやり遂げなければと意識した瞬間でした。

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*1:術後半年のMRI

腱板断裂克服記② 手術~術後3か月

2020.6.1 腱板断裂 関節鏡手術のため入院

入院に先立って2週間の毎日の検温、直前の肺のCT検査とPCR検査を乗り越えて無事に入院を果たしました。キャンセル続出でガラ空きの病室でした。

手術前日は、理学療法士から手術後に装着する装具の付け方、外し方の指導を受け、看護師から入浴時の洋服の脱ぎ着の仕方などを教えてもらって、手術に備えて早めに就寝しました。

翌朝、手術当日、起床後に点滴が始まりました。歩いて手術室へ。看護師、麻酔医、執刀医など大勢に囲まれた手術台に横になると、間もなく「では始めますね」のことば。記憶はここまでで手術が終わって起こされるまで全く記憶はありません。病室に運ばれた後も痛み止めの点滴のお蔭なのか、一日ほとんど起きずに眠り続けました。

翌朝が来て、担当看護師に顔や身体を拭いてもらって、食事も食べさせてもらいました。まだ点滴や計器が付いていました。午後は点滴が外れて左手でスプーンを使っての食事だったように思います。

術後2日目から1日2回、午前と午後のリハビリとシャワーが始まりました。

装具の付け方、外し方を完全にします。入浴時だけは装具を外して三角巾に代えて腕を吊りますが、その他の時間は寝る時もずっと装具は付けたままです。

こうして6日間の入院生活を終えて退院しました。

8日目にはまた診察がありレントゲン撮影をしました。肩には入院中から熱感がありずっと氷嚢で日中も夜間も冷やし続けていました。腫れもあってラグビー選手の肩のようでした。1週間は痛み止めが処方されていたように記憶しています。

術後2週間の診察時に大きく肩を全面的に覆っていた防水テープが外れ、バンドエイド程度のテープだけになりました。関節鏡を挿入した部位に貼られていましたが、これは剥がれたらそのままで良いとのことでした。術後すぐ貼られていた防水テープはすぐれもので入浴時にお湯がかかろうがピッタッと貼り付いていてまったく取れる心配のないものでした。入浴時以外には外せない装具、これが辛いものでした。時々テーブルの上に右腕を置き、肩に負担がかからないようにしてそっと装具を外すことが許されました。ホッとする瞬間でした。

術後3週間でようやく装具が外れました。解放感がありましたが、わずか3週間のことなのに肩が固まって動かなくなっているのに驚きました。Tシャツに頭を入れるだけの行為なのに肩に痛みが走り動かないのです。家事全般、病院への送迎、すべて自力では不可能で主人のお世話になりました。

8日目の診察と同時にリハビリも始まっていました。週2回、欠かさず行きました。理想的には初期は週3回だそうです。入院中に担当の理学療法士PTが決まりずっと最後まで担当して状態を見守っていってくれることになっていました。

PTにマッサージも受け、装具も外れましたが、肩の凝りはひどく肩甲骨回りもゴリゴリでした。手術前に感じていたような痛みはないのですが、利き腕なのにふとした瞬間でも右腕がでません。上がりもしません。硬直していて動かないのです。

装具が外れて開放的になったものの、自分の腕の重さに耐える力が充分でなく、特に朝起きたときの痛みが酷いとPTに告げると、寝るときだけでも装具を装着して腕をくの字にして寝てはどうかとアドバイスをもらいました。バスタオルをたたんで右肩の下に挟んで高くもしました。少し楽になりました。

術後2か月近くになるまでは肩を動かすと熱感が戻り、氷嚢を離せませんでした。この時期の運動は特にがんばり過ぎると痛みや熱感が戻って後戻りしてしまいます。痛くなったらアイシングして運動は中止。何度も何度も失敗を繰り返しました。

術後2か月に入って常時の熱感はなくなってきたけれど、PTから言われた腕を振る、伸ばす、回す、こんな単純な運動をするだけなのに、そして運動しているときは痛みはないのに、翌日になって痛みがでてきてまた冷やしたり、ロキソニンを飲んだりでした。ほどほどがよくわからない難しい状態でした。無理せず、痛みを感じる前の段階で運動を止める。これが回復への早道。そう教えられて頭では分かっているはずなのに、身体が分からないのです。 

進んだり止まったり後戻りしたりのリハビリでしたが、

術後2か月半からペットボトルに200CC程度の水を入れて振る運動が加わりました。術後3か月が過ぎても可動域は人並みレベルまで達しないでいましたが、肩甲骨回りを柔らかくするための運動、インナーマッスルを鍛えていく運動、可動域をだしていく運動などを相変わらず続けました。筋力が十分に付いてきていないので少しやり過ぎるとまだ痛みがでていましたが、少しづつ自分のペースがつかめて身体の動きが自由になってきていました。

 

 

 

腱板断裂克服記①

2年以上にも及ぶ腱板断裂克服記からこのブログを始めようと思います。

今、肩に痛みを抱えて耐えている人のためにとずっと記録を続けてきました。少し長い記録になりますが、どなたかのお役に立てばと始めます。

 

右肩に痛みを感じ始めたのは7~8年前からのことでしょうか。以前から肩こり性だったものですから大して気にも留めず過ごしていました。それが、徐々に酷くなってきたのは2018年に入ってからのこと。その頃の私は実母と義母の生活のヘルプをしながら、頻繁に孫の世話に駆り出されていたのですが、時に強い痛みが襲ってきて辛くなるようになりました。殊にスーパーの買い物を持ったり、腕を挙げて洗濯物を干したり、棚の物を降ろしたり、逆に腕を下げてお風呂の浴槽を掃除したりするのが痛くて左手で支えたり、耐えられないようになってきました。完全に手が挙がらない状態ではないのです。反対の腕で支えたりしながら痛みを堪えたら挙げられるのです。時々、鍼やマッサージをしてもらうとその時は気持ちよくなるのですが、また直ぐに元に戻ってしまっていました。

2019年に入ってから、近所のMRIのある整形外科を選んで行ってみましたが、肩関節周囲炎、いわゆる五十肩との診断で、週2~3回通院して肩周囲を器具を使って温め、週1回のキシロカイン注射、そして湿布薬の処方が言い渡されました。3か月間は真面目に通院しましたが、まったく症状は改善されず転院を決意。肩関節専門の先生のいる病院を探しだしました。

数か月待ちの予約日が来て、再びMRI撮影をすると直ぐに五十肩ではなく腱板断裂であることが判明しました。でも、直ぐに手術ではなくリハビリで周囲の筋力をつけることで痛みが和らぐ場合もあるので、まずは3か月間リハビリと理学療法士によるマッサージを受け様子をみることになりました。

マッサージはわずかに20分でしたが、その後に30分程度バランスボールや椅子を使って姿勢を正すためのリハビリをします。マッサージは気持ちがいいのですが、痛みが収まることはなく、その頃は夜ベッドに横になるだけで肩が痛み、すべての家事が辛くなっていました。

3か月後、痛みに変化がないことを告げ、手術をしたいと先生にお伝えしましたが、予約は5か月先まで埋まっていて、それまでは今まで通りのリハビリを継続させながら術後に向けての筋力アップに努めるように言われました。それが、2020年の1月のことでした。

そして、以前通りリハビリに週2回通い始めましたが、しばらくすると新型コロナウイルス感染症の騒ぎ。緊急事態宣言の発出。三密を避けてと言われているときにマッサージを受けるのは怖く、リハビリに通うのは止めて、自宅で簡単な運動をしながら手術の日を待つことにしました。

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*1:写真は術前の右肩CT画像