GrannyLapis’s diary

今まで経験してきたこと、今日からのこと、いろいろ思うままに記していきます。

腱板断裂克服記⑤ 術後一年~一年5か月

写真は術後半年と1年のMRI画像です。

手術で2本挿入されたアンカーのギザギザとしたネジのようになった部分が消えてきて私の骨の一部になってきていることが分かります。術後10か月、11か月と過ぎてくるにつれて私の腕、私の肩になってきているのを感じていました。正直言うと、まだ朝ベッドから起き上がったときには肩に硬さを感じていたのですが、日中は棚の上の方の物を取らなくてはならない時につっぱり感を感じる以外ほとんど「肩」を意識しないで過ごせるようになってきていました。

コロナ禍の通院は緊張感も伴っていましたけれど、車に乗って難なくシートベルトに手を掛けて肩に回しかけられたとき本当に手術してよかったと思いました。

この時点ではまだMRIに写っているアンカーもカルシウムが含まれていてどんどん私の骨と一体化していくのだそうです。

ここまでは良い状態で術後のリハビリは進んでいました。ところが、術後1年2か月過ぎて夏休みが来てハプニングが起きました。

孫を連れて旅行にいくことになったのです。そこで油断をしました。冬はスキー場、夏はリュージュという小高い山に行きました。子どもは一人では乗れないというので一緒に乗ることになりました。リュージュという乗り物のことは全く知りませんでした。レバーを押すとアクセル。手前に引くとブレーキ。そう教えてもらっただけでリュージュは急斜面を滑り始めました。孫にはレバーを持たないように言ったのですが、滑り始めた途端にスピード狂に変身。レバーを押しながらどんどんスピード上げて滑り降ります。私は渾身の力を込めてレバーを手前に引きながらカーブを曲がります。その連続で下まで滑走しました。滑り降りる速さが怖くて、どこかに飛んでいってしまうのではないかと怖くてたまりませんでした。

ゴールまで無事に辿りついた時に初めて肩の手術をしていたことを思い出しました。大丈夫だろうか… 案の定、徐々に肩は痛みを感じ始めました。

二日目、三日目、更に痛みが増してきました。「もしや再断裂かも…」そんな心配が頭をよぎりました。帰宅してもちょうどお盆休みで病院は休みになっていました。お盆明けを待ってリハビリの予約を入れてPTに診てもらいました。「そんなに簡単に再断裂するものじゃないから多分大丈夫よ。」そう言いながら、痛いときは運動を控えて冷やしてとやさしくマッサージしてくれました。週1回になっていたPTのマッサージを2回に増やして一月後の先生の診察日まで待つことにしました。ともかく先生の予約は簡単に入れられないのです。

翌月に入って待ちにまった診察日。先生に事の次第を話すと呆れられました。まだ完全に元通りの状態には戻っていないのにやり過ぎだったのです。診察室のエコーで直ぐに診てくださいました。そして、「大丈夫。手術のあとには異常なし。僕はそんなヤワな手術はせえへんよ!」関西弁で笑いながら、私があまりに痛がっていたものですから、生理的食塩水を入れた注射を一本肩にしてくださいました。

この時、先生が突然私の手首を持って腕を回転させて見せてくださいました。左腕は肩から自然に手首の動きと一緒に回るのですが、右肩は手首を持って腕を回しても一緒についてこないのです。これが術後1年ちょっとの状態。つまり完全治癒の状態ではないということを先生は教えてくださいました。肩から自然に回るようになって完全治癒だそうです。

まだ油断は禁物。真面目にリハビリを続けていかねばなりません。

先生の注射、たった1本のお蔭で肩の痛みは嘘のように引いていって、2週間後には痛みは消え、その後はまた元通りのリハビリに戻ることができました。

そして、術後1年4か月に入るとリハビリは2週間に1回になりました。

腕を180度挙げることは問題なく可能になっていました。荷物は1キロ程度のものならかなりの時間持ち歩けるようになりました。2キロとなるとちょっと長くは歩けません。家でのテーブルやチューブやストレッチポールなどを使った運動を真面目に継続していました。