GrannyLapis’s diary

今まで経験してきたこと、今日からのこと、いろいろ思うままに記していきます。

腱板断裂克服記② 手術~術後3か月

2020.6.1 腱板断裂 関節鏡手術のため入院

入院に先立って2週間の毎日の検温、直前の肺のCT検査とPCR検査を乗り越えて無事に入院を果たしました。キャンセル続出でガラ空きの病室でした。

手術前日は、理学療法士から手術後に装着する装具の付け方、外し方の指導を受け、看護師から入浴時の洋服の脱ぎ着の仕方などを教えてもらって、手術に備えて早めに就寝しました。

翌朝、手術当日、起床後に点滴が始まりました。歩いて手術室へ。看護師、麻酔医、執刀医など大勢に囲まれた手術台に横になると、間もなく「では始めますね」のことば。記憶はここまでで手術が終わって起こされるまで全く記憶はありません。病室に運ばれた後も痛み止めの点滴のお蔭なのか、一日ほとんど起きずに眠り続けました。

翌朝が来て、担当看護師に顔や身体を拭いてもらって、食事も食べさせてもらいました。まだ点滴や計器が付いていました。午後は点滴が外れて左手でスプーンを使っての食事だったように思います。

術後2日目から1日2回、午前と午後のリハビリとシャワーが始まりました。

装具の付け方、外し方を完全にします。入浴時だけは装具を外して三角巾に代えて腕を吊りますが、その他の時間は寝る時もずっと装具は付けたままです。

こうして6日間の入院生活を終えて退院しました。

8日目にはまた診察がありレントゲン撮影をしました。肩には入院中から熱感がありずっと氷嚢で日中も夜間も冷やし続けていました。腫れもあってラグビー選手の肩のようでした。1週間は痛み止めが処方されていたように記憶しています。

術後2週間の診察時に大きく肩を全面的に覆っていた防水テープが外れ、バンドエイド程度のテープだけになりました。関節鏡を挿入した部位に貼られていましたが、これは剥がれたらそのままで良いとのことでした。術後すぐ貼られていた防水テープはすぐれもので入浴時にお湯がかかろうがピッタッと貼り付いていてまったく取れる心配のないものでした。入浴時以外には外せない装具、これが辛いものでした。時々テーブルの上に右腕を置き、肩に負担がかからないようにしてそっと装具を外すことが許されました。ホッとする瞬間でした。

術後3週間でようやく装具が外れました。解放感がありましたが、わずか3週間のことなのに肩が固まって動かなくなっているのに驚きました。Tシャツに頭を入れるだけの行為なのに肩に痛みが走り動かないのです。家事全般、病院への送迎、すべて自力では不可能で主人のお世話になりました。

8日目の診察と同時にリハビリも始まっていました。週2回、欠かさず行きました。理想的には初期は週3回だそうです。入院中に担当の理学療法士PTが決まりずっと最後まで担当して状態を見守っていってくれることになっていました。

PTにマッサージも受け、装具も外れましたが、肩の凝りはひどく肩甲骨回りもゴリゴリでした。手術前に感じていたような痛みはないのですが、利き腕なのにふとした瞬間でも右腕がでません。上がりもしません。硬直していて動かないのです。

装具が外れて開放的になったものの、自分の腕の重さに耐える力が充分でなく、特に朝起きたときの痛みが酷いとPTに告げると、寝るときだけでも装具を装着して腕をくの字にして寝てはどうかとアドバイスをもらいました。バスタオルをたたんで右肩の下に挟んで高くもしました。少し楽になりました。

術後2か月近くになるまでは肩を動かすと熱感が戻り、氷嚢を離せませんでした。この時期の運動は特にがんばり過ぎると痛みや熱感が戻って後戻りしてしまいます。痛くなったらアイシングして運動は中止。何度も何度も失敗を繰り返しました。

術後2か月に入って常時の熱感はなくなってきたけれど、PTから言われた腕を振る、伸ばす、回す、こんな単純な運動をするだけなのに、そして運動しているときは痛みはないのに、翌日になって痛みがでてきてまた冷やしたり、ロキソニンを飲んだりでした。ほどほどがよくわからない難しい状態でした。無理せず、痛みを感じる前の段階で運動を止める。これが回復への早道。そう教えられて頭では分かっているはずなのに、身体が分からないのです。 

進んだり止まったり後戻りしたりのリハビリでしたが、

術後2か月半からペットボトルに200CC程度の水を入れて振る運動が加わりました。術後3か月が過ぎても可動域は人並みレベルまで達しないでいましたが、肩甲骨回りを柔らかくするための運動、インナーマッスルを鍛えていく運動、可動域をだしていく運動などを相変わらず続けました。筋力が十分に付いてきていないので少しやり過ぎるとまだ痛みがでていましたが、少しづつ自分のペースがつかめて身体の動きが自由になってきていました。